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2012年の展覧会

舟越保武展 生誕100年・没後10年記念展

父は女性の顔、頭部の像を数多く制作しました。静謐な女性像とよく言われますが、観賞者にそれを「伝える」ためにはどのような作業が必要なのでしょう。  
美しさや気品のようなものが現れてくるその前に、土台としてどうしても必要な立体としての強さを探し求めておくこと。しかし父の場合、制作後半で細かく繊細な作業も必要となります。ですがそこで繊細な眼だけで作業をしていくと、多分失敗につながるのだろうと思います。  
そこで必要な眼とは、全体を見つづける眼、あるいはさっきまであった強さを決して見逃がさずに、それを捉えつづけながら細かい作業を進めていくことなのです。異なる倍率の眼を同時に働かせて作業をすることといえるかもしれません。自分の意志をコントロールしつづけることを要求されます。父はそれをできた彫刻家だったのだと思っています。
2012年3月   

舟越 桂

【舟越保武略歴】
大正元年(1912)、現在の岩手県二戸郡一戸町に生まれる。
県立盛岡中学校(現・県立盛岡第一高等学校)では、のちの洋画家松本竣介と同期であった。
昭和9年、東京美術学校彫刻科塑造部に入学。

昭和14年、新制作派協会彫刻部創立に参加し、会員となる。
このころから大理石彫刻を始める。直彫りによる石彫の第一人者で、昭和25年の第14回新制作派展出品作の《アザレア》は、文部省に買い上げられた。
昭和16年、郷里盛岡で松本竣介と二人展を開催。二人の交友は、昭和23年の竣介の死まで続く。
昭和25年、盛岡カトリック教会で洗礼を受ける。昭和33年に着手、昭和37年に完成した《長崎26殉教者記念像》で第5回高村光太郎賞を受賞する。
また、島原の乱の舞台となった原城跡で得たイメージをもとに制作した《原の城》では、はじめ頭像を、昭和47年にはすぐれた造形力を示す全身像を完成し、中原悌二郎賞を受賞。
同作は同年ローマ法王庁に贈られ、翌48年これに対し、ローマ法王から「大聖グレゴリオ騎士団長」の勲章が授与された。
この間、昭和42年東京芸術大学教授に就任、昭和43年には田沢湖に《たつこ像》を、翌年《ダミアン神父》を制作する。
昭和52年、釧路市の幣舞橋に設置された《道東の四季ー春ー》で長谷川仁記念賞を受賞。
昭和53年、芸術選奨文部大臣賞を受けた。
昭和55年、東京芸術大学を定年退官。翌年多摩美術大学教授となる。
昭和58年、同大退官。昭和61年、東京芸術大学名誉教授となる。
昭和62年、脳梗塞に倒れるが、退院後、左手でデッサンを、そして彫刻を始めている。
平成11年、文化功労者に選ばれる。
平成14年(2002)2月5日、多臓器不全のため逝去。奇しくも405年前のこの日に、日本二十六聖人は殉教している。
享年89歳。