Art Column
第2回「ゴルゴダ」
20代に初めて作品を求めた。ルオーの銅版画、連作「悪の華」12点の中の1点「ボードレールの墓」。多色刷りが美しく、中央にどっしりとある白い石の墓の背景は、暁にも黄昏にもみえる。ルオー好きの恩師に話したら、「本当に(その良さが)分かるのか?」と言われた。分かるも分からないもない、惚れたのだ。私がローンを組んでまで求めたと知った恩師は、「墓の絵を掛けた部屋で寝てる女など、結婚出来んぞ!」と言って笑った。ご推察の通り、あれから40年タイムフライズ、私にはリ・ジョンヒョクもク・スンジュンも現れなかった!
閑話休題。長年お付き合いのあるギャラリーの女主人が「ゴルゴダ」を寝室に置いていると聞いて驚いた。「舟越保武のあのゴルゴダを!」と私は感嘆の声をあげた。舟越保武は、わが国の近代彫刻を代表する彫刻家のひとりだ。キリシタン弾圧をテーマにした「長崎26殉教者記念像」「原の城」などの代表作をはじめ、静謐な美しさをたたえる聖女や女性像の作り手としても知られる。岩手県出身。若き日には高村光太郎や松本竣介と交流があり、1950年氏が38歳の時に、盛岡カトリック教会で家族全員で洗礼を受けている。日本エッセイスト賞を受賞し、随想のファンも多い。2002年満90歳になる年の2月に死去。没後20年以上が経ち、今では彫刻家舟越桂氏の父と言えばお分かりになる方も多いのか。氏は1987年75歳の時に脳梗塞で倒れ右半身不随となった。利き腕である右腕が動かなくなったことは作家として致命的とも言えるが、その後リハビリを重ねて、左手によるデッサンや彫刻を残した。ゴルゴダは作家が倒れてから2年後の1989年に制作された最晩年の優品である。
老いと病による身体の不自由が、作家をして制作する行為に神経を集中させ、表現の本質に意識を向かわせるのか。ゴルゴダは調和や見映えの良さを拒否する老年の激しさと、老いてなお終わりを数えない精神のみずみずしさとが融合した結果、ひとつの塊となって出現した作品とでも言おうか。
「ただ出来上がる仕事だけが、素晴らしい。」「もう後100年仕事が出来たとしても、具象彫刻以外しないだろう。」舟越保武はそう語った。だがゴルゴダはそんな作家自身の言葉さえも超越した作品であるように思える。観る人を幸せにするとか、勇気づけるというのとは少し違う。ベートーヴェンは、「私の音楽を本当に理解したものは、地上の悲惨と困苦に負けなくなるだろう」と言ったと伝えられるが、それとも異なる。ゴルゴダは誰のためにでもない、ただ作家自身のためにつくられた。
作品に向き合えば、観る者は何かに恕されている自分に気づくだろう。うつむく顔を覗き込むと、その唇から今にも声が発せられそうに見える、が何も言わない。かなしみを湛えたゴルゴダが、私に親しい。ブロンズの頭にそっと手を置いてみた。
舟越保武が亡くなった2月5日は、奇しくも日本26聖人殉教の、まさにその日であった。
「こころを尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くす。」
聖書の言葉である。
過去、香希画廊では舟越保武氏の展覧会を三度開催いたしました。
香希画廊10周年記念展
―静謐な美―
舟越保武彫刻展
■2009年3月7日(土)~3月22日(日)
大理石、砂岩、ブロンズの彫刻さ約10点と素描、版画を展示。
彫刻家 舟越保武展
生誕100年・没後10年記念展
■2012年4月3日(火)~4月15日(日)
若い女(胸像)大理石、LOLA(胸像)砂岩、
聖マリア・マグダレナ ブロンズ(立像)、EVE ブロンズ(立像)など、
1950年代初期の大理石彫刻から1987年の立像まで、彫刻17点、素描・版画作品を展示。
舟越保武展
-最晩年の彫刻作品とデッサンによる-
■2012年10月20日(土)~11月4日(日)
ゴルゴダをはじめ、晩年左手で制作された彫刻作品12点とデッサン13点を展示。
出品は、舟越先生のご息女で現在は舟越作品の鑑定家でもある苗子様に、全面的ご協力を賜わりました。