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アートコラム

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第22回 「それはそれとして」

2025年04月01日更新

 「こんな夢をみた」漱石の夢十夜ならこう始めただろうが、夢ではなかった。
 日帰りの予定で早朝に上京した帰路、新幹線の車中で私は気を失った。一日はやく上京して行ったDIC川村記念美術館の様子を、いつになく饒舌に語る相棒の傍らで、私は俄かに気分が悪くなった。どのくらいの時間が経ったのか、叫びにも似た相棒の声に私は遠くから呼び戻された。結局長野駅で途中下車し、待っていた救急車で近くの病院に運ばれ一晩入院する事になった。
 昨夏私と同い年の相棒の姉上がくも膜下出血で倒れ、秋には大学時代からの親友が動脈乖離で入院した。共に命は取り留めたが、肝を冷やした。そして此度の私の騒動である。
 以来「突然死」という言葉がときおり頭をよぎる。富山に戻り詳細な検査を受けたが、幸い異常は認められなかった。今私は、不安のうちに平安といった風に過ごしている。

 「人間にはふたつの種類があるようだ。すなわち、より良く生きるために死をその頭の中から追っ払ってしまう人間と、逆に肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きていることを自覚する人間である。」
 ユルスナールが三島由紀夫論にそう書いているらしい。最近読んだ彫刻家宮脇愛子のエッセイ集にその一文は紹介されていた。来日したユルスナールの昼食会に招かれた宮脇さんは、おそらくは後者に属していると思われる高齢のユルスナールの力強さに、自身のことを振り返らざるを得なかったと述懐している。
 私はどっちだろうと、思わず考えさせられた。

 さて、八王子にあるわが母校に去年開設された「法と正義の資料館」へ行くべきだと、時々画廊に来てくれる新聞記者のAさんに強くすすめられた。第1回企画展として、「弁護士松波淳一の闘い」が開催されているという。
 松波氏は富山県氷見市の出身で、郵便局で働きながら中央大学の夜学に学び弁護士となった。イタイイタイ病裁判で被告側に立つ科学者・医学者の証言を反対尋問で覆し、勝訴に導いた事を知る人も少なくはないだろう。
 晴天に空っ風が吹く日、クラスに二人しかいなかった女子、紅二点?の片われである件の親友と、東京駅で待ち合わせ、45年振りに母校との邂逅を果たした。
 彼女は学生時代から芝居に打ち込み劇団を立ち上げ、その同志と結婚、後に彼と父親の新聞社を継いだ。松波先生のビッシリと書き込みされた三日月章 著「民事訴訟法」に、進路の道を大幅に外れた学生時代を恥じ、二人で深々と頭を下げた。
 いにしえの自分と今の自分が出会う、夢と現実が混ざり合ったような不思議な一日となった。

 生と死、夢と現実は、まことにおぼつかないものであるように思われる。
 「この世は自分をさがしに来たところ、この世は自分を見に来たところ」と言ったのは、陶工河井寛次郎だ。人間としての実感と念願を数多くの「自言」(自分の言葉)で表現した。
 詞集の中から寛次郎自身が12の詞を選び、木に彫って拓本とした「12の詞画」を還暦の年に制作している。それらを眺めながら、精神の老いをしらず情熱を持続させ仕事を残した先人に畏怖の念を抱く。どこまでやれるのか、今はただ自分なりの仕事に精魂を傾けようと、気持ちを新たにする。
 いつの間にか朝方の雨は季節はずれの雪に変わって、外は少し白くなっていた。
 何はさて 命大事の 春寒し (紅葉)
 母の命日も近い。

▲河井寛次郎 拓本 詞画集「12枚の詞画」より1950年
イメージサイズ 31.5㎝×31.5㎝
「仕事が見付けた自分 自分をさがしている仕事」

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