香希画廊

Art Column

アートコラム

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第24回「竹橋の一日」

2025年06月01日更新

 木立の葉陰がいつもより濃く感じられる日、妹が庭に咲いた芍薬を届けてくれた。モーゼルに活けようと、父の字で「チェコ土産 1996年5月」と記された箱から出しておく。チェコを旅した時にモーゼルの工房を見学してどうしても欲しくなり、持ち重りのするそれを無理矢理トランクに詰め込み帰って来た。氷柱からザックリと削り出されたような、クリスタルの花瓶。
 真紅の花の中に薄桃色と白がグラデーションの珍種を数輪見つけて、相棒が思わず顔を近づける。清しい香りが画廊に広がった。
 花の不思議が初夏の光に照らし出される。季節はめぐった。

 同じ光でも北欧の光は、人智を超えたものを映しだす力を持つのだろうか。東京国立近代美術館で、ストックホルムに生まれたヒルマ・アフ・クリントの展覧会(2025.3.4〜6.15)を観た。
 カンディンスキーやモンドリアンに先駆けて抽象絵画を創案した画家でありながら、長く限られ人々にしか知られてなかったのが、近年再評価が高まっているという。洗練された色彩はしかしプリミティブな強さをも合せ持ち、19世紀の終わりから20世紀なかばに制作された多くの作品が、21世紀に生きる私達に多様な問題を投げかけている。コンテンポラリーアートにも比類する作品は、まさに今「百年を先回り」して私達を待ち受けていたかのようだ。
 食べたいけれど食べ切れない料理を目の前に残す思いで、「ヒルマ・アフ・クリント展」の会場を出た。

 さて些かの疲れを感じながらも、館内4階から2階まで同時開催されている所蔵作品展に歩を進めた。
 1952年開館以来収集された作品の内約200点で、19世紀末から近現代までの日本の美術の流れをたどる。丁寧な仕立に沿い、時々脱線しながら、散歩のように作品を見てまわった。
 速水御舟、荘司福、村上華岳、徳岡神泉が続いて並んでいる部屋では、それらの作品が一つの連邦のようにつながり、かつて友に連れられ歩いた、五色ヶ原への山行きの思い出と重なって見えた。
 一の越から浄土山、龍王山、鬼岳、獅子岳を経て、ザラ峠を延々歩いた時の山の情景が4人の作品を覆い、一種夢幻的情趣に私は包まれた。「山のパンセ」の串田孫一も知れば驚く、山と美術の不思議ではないか。神秘思想やスピリチュアリズムに関心のあったアフ・クリントの影響が、早くも私自身に及んだかと苦笑しつつ、再び館内を歩いて、ひとつの作品に足が止まった。

   清宮質文。「深夜の蝋燭」(1974年)四方20センチに満たない小さな木版画。下弦の月に一灯の蝋燭。炎の美しさに胸を突かれる。
 刷りが特別に美しいこの版は、過去いくつかの展覧会に出品されているが、見るたびいつも新しい。
 祈りは自分を救う知恵、心の孤独にすがりつく。けれども清宮は虚空をまさぐって歩く人間の時間を、長い思索のうちに、純粋に人間的な時間として、版に込めた。石のような孤独のなかに、自らを閉じこめることをしなかったら、こんな美しい作品は残せなかっただろう。

一個の真実な人間の心のモニュマンとして、はるばると山なみ遙かの空間を私の夢の香気で満たしてみたいものだと思う。そして百年経ち、二百年経ち、ときたまそこを通り過ぎる人々に語りかけてみたいような衝動にかられるのである。(清宮質文 1965年雑記帳より「夢のモニュマン」)

 もうたっぷり20年は経っただろう。私の部屋の片隅にあるこれも四方15センチほどの清宮質文の木版画。近寄って見ないと、近づいて見ても、すぐには何が描かれているのか分からないかもしれない。
 「月と運河」(1988年作)、1990年73歳で亡くなった清宮質文の生涯最後の木版画。
 誰もいない運河、日中でも人の気配のない場所に、ポツンと舟が浮かんでいる。夜、辺りが暗くなって、月の光に運河が照らし出される。時折り月に雲がかかり、風が運河の水面(みなも)に微かな漣をたてる。それでも舟は動かない。ただ月の光が舟に届いて、静けさのなか、月と舟は妙に打ち解けて見える。互いの孤独を知って。ただそれだけの運河の景色。
 何処かでかなしみが救われている。

 美術館を後にする際、入口の看板を振り返った。MOMATコレクションのメインサインとして清宮質文の「深夜の蝋燭」が出ている。入館する時には気付かなかったそれを見て、私は少し嬉しくなった。

▲清宮質文 「月と運河」 1988年 H15.0 W15.0㎝ 木版画

▲東京国立近代美術館(竹橋) 入口看板
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