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アートコラム

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第18回 「帰りたい風景」

2024年12月01日更新

 「この度は叙勲おめでとうございます。」ホテルの受付で挨拶され瞬間ひるんだが、なりすますしかない。数年ぶりに妹と上京する事となり、直前にいつものホテルをネットで予約したが、叙勲プランだったようだ。朝食は別室が用意されているとの事。翌朝祝膳でも出るのかと期待し押し開いたドアの先には、モーツァルトが流れている。しかし、いつも通りのバイキングであった。厚かましい私たちが叙勲の誉れに浴することは永久にないだろう。金屏風の前に立つ和服の賑わいを他所に、二人で日本橋から銀座へとそぞろ歩きにでかけた。
 帰って妹から、「東京の街の変貌ぶりには驚いたが、学生時代から既に40年の以上の時が経っている。今回京橋の美術館に行き、当時観たブリヂストンの収蔵作品に久々に対面出来て『お帰りなさい』と声をかけられたようだった」とLINEが届いた。

 数年前にブリヂストンからアーティゾンと名を変えビルも新しくなった美術館で、久しぶりにルオーの油彩画「郊外のキリスト」を見た。絵の前で足が止まった。
 ルオーの油彩画「郊外のキリスト」は、場末の町に親子を描いた作品だ。場末とはルオーの生まれたベルヴィーユのことか、「美しい町(Belle Ville)」とは名ばかりの、娼婦の立つ貧しい町だったという。
 身を寄せあって立つ親子は、家路の途中なのか。それとも月夜の晩に行くあてもなく途方に暮れているのだろうか。ささやかな仕合わせを親子で祈っているようにも見える。背後から煌々とした月の光に照らし出されたそれぞれの黒い影が、静謐さを深めている。月だけが親子を見守っているようなその光景に、ルオーはキリストを見ている。小さき者にそそがれた眼差しが優しい。
 絵の中に、まごうことなき「神」と「人間」が存在している。

 ルオーには、少しでも多くの人々に自らのメッセージを届けたいとの思いで、複数の制作が可能な版画に集中した時代がある。タブローに劣らぬマチエールの効果を生み出すため、幾多の技術を自在に駆使し、モノクロは重厚で、カラーは抽象表現主義のような美しさを醸し出している。芸術性の高い版造形とも言える出来ばえは、版画の範疇を越えて絵画に迫る醍醐味がある。
 取り分け58点からなる連作版画「ミゼレーレ」(憐れみたまえ)は、ルオーが父の死をきっかけとして着想し、第一次世界大戦を契機に制作された。罪悪に満ちた人間の悲惨とキリストの慈悲を対照的に示し、独自の深い宗教的心象をもって描かれ、ルオー芸術のひとつの頂点をなすものとなっている。
 だが制作からほぼ一世紀がたった今、ルオーが心血を注ぎ作品に込めた思いは果たして人々に届いただろうか。

 現在も戦争は無くならない。温暖化の影響が世界中のあちこちで自然災害を引き起こしている。
 福島の現状は今も依然としてきびしく、能登の復旧は一年が経過した今も生易しくはない現実を突きつけている。
 たとえ大禍にみまわれなくとも生き続ける事は容易ではない。
 絶望の淵に立たされた時、人はどのようにして絶望を克服してゆくのだろうか。ふるさとを失い、冬空の下、帰りたくても帰れないおおぜいの人々がいる。

 過日、瓦礫の残る能登の被災地でバイオリ二ストの五嶋みどりさんとピアノ二ストの藤田真央さんが復興支援のため開催したホープコンサートに出かけた。無償のプロジェクトに外部からの参加は如何なものかとのためらいもあったが、被災地の現状をより多くの方々に知ってほしいとの主催趣旨に背中を押され出かけた。
 コンサートの最後に五嶋さんが奏でたアンコール曲「ふるさと」。
 紡ぎ出された音は、強く美しい一本の糸となり、やがてそれは一枚の布となって人々の頬をつたう涙を拭い、祈りのごとく天上へと舞い上がって行った。
 長年の修練で培われたひたすらな演奏が、言葉では語り尽くせない強い思いを被災地の人々に伝えた。

 「人間の強い意志が、悲しみにどれだけ耐え立ち向かえるか、今この時がまさにHead upの時だ」
 コンサート終了後に五嶋さんから寄せられたメッセージは、それでもなお未来に一歩を進めようと人々を勇気づけ、うちのめされ絶望したこころに寄り添った。

▲アーティゾン美術館「ひとを描く」展 (2024.11.2-2025.2.9) 石橋財団コレクション選より
ジョルジュ・ルオー「郊外のキリスト」1920-24年 油彩・紙
▲ジョルジュ・ルオー 「<ミセレーレ> 高慢と無信仰のこの暗き時代に、見守りつづける地の果ての聖母」
59.1×43.3cm 1927年 銅版画 技法(粒子エリオグラヴュール、シュガーアクアティント、アクアティント、ドライポイント、バニッシャー、ルーレット、スクレイパー)
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