Art Column
第30回「薫の絵」
例年より降雪が早いというテレビのアナウンスを聞いて冬用のタイヤに交換を済ませた翌日、今年最後となるだろう登山に出かけた。連日報道される熊の出没ニュースに動揺しないわけではなかったが、ブナ林の中、遠く冠雪した山々を望み友と歩く楽しみは捨てがたかった。幸いにも、熊に見限られた山にすでにその気配はなかった。
山頂に続く小道を歩きながら、私はふとひとりの画家を想った。熊を怖れるあまり、愛犬の甲斐虎を「クマ」と名付けて自作の多くに登場させた画家を思い出し、私は少し可笑しくなった。
画家の名前は山口薫。
紅葉から冬枯れの季節に向かう山は、賑々しさと侘しさが混在して清澄な空気に包まれている。それは薫のどの絵からも醸し出される雰囲気とどこか似ている。目前の事物に深い愛着を感じながら、心はいつかそこを離れ遠い世界へと誘われている。具象と抽象が独自の詩情に結ばれて自在に行き交う。
亡くなってもう60年近く経つのに、何故だろう、薫は今もどこかで生きているような気がする。以前から作品を持ってみたいと思い続けて、未だに手に入らない。作品もまた持ち主を選ぶのだろう。
東北の震災で被災した人々の心を慰めようと陸奥の各地を揮毫してまわる金澤翔子さんの書展を、当時世界遺産に指定されて間もない中尊寺で開催しようと企画した。2012年のことである。選んだ場所が場所だけに許可を得るのは簡単ではないと覚悟を決めて取り組んだ仕事だったが、持つべきものは友である。結婚を機に一関の人となり能楽を能くする親友が、白山神社(中尊寺の鎮守)の能舞台と縁があり、中尊寺の貫主様に直にお会い出来るよう取り持ってくれた。
挨拶に伺った日の夜、世話をしてくれた親友を宿泊したホテルのレストランに招いて食事をした。テーブルに進んだ時、正面に掛けられた絵に目が止まった。遠目には何が描かれているか定かに見えなかったが、薫の絵だとすぐ分かった。近づいてよく見ると鎧のようなものが暗い緑の背景にポツンと浮かび上がっている。竹林だろうかその向こう側から一頭の白い馬が鎧を見ている、ように見えた。
翌朝早く親友から電話があった。ホテルのオーナーに昨日の絵の事を訊いてみたらどうかという。オーナーは音楽や絵画に造詣が深い人らしかった。
言われるまま私は、なんともミステリアスな薫の絵に一関で出会えた不思議を、ホテルの便箋に一筆書いてフロントに託して帰った。
見覚えのない名前の便りが届いたのは、富山に戻って暫くたってからの事だった。一関のホテルのオーナーTさんからであった。ホテルに宿泊しレストランで会食した事への丁寧なお礼と、山口薫の絵に興味を持たれたご縁を嬉しく思うと挨拶があった後、絵と自身の関わりがしたためられてあった。
ホテルのオーナーTさんは、山口薫の長女・絢子さんの高校時代からの親友だった。夏休みの帰省に絢子さんが一緒に一関に来たり、山口家の蓼科や千葉の房総海岸の別荘あるいは上北沢の自宅に、Tさんが度々遊びに行った事などが記されてあった。必ずといってよいほどタオルを首に巻いていて、絵をかく合間にはアトリエのそばのサロンで庭を眺め、ウイスキーを飲みながら詩を書いていたという、いかにも薫らしいと思わせるエピソードも披露してあった。
そしてあの絵は、薫が癌で入院する直前、娘の絢子の友達「てっちゃんのために」と描いた作品だったと知った。額も画家自らが選び、裏に自筆の作品名と署名があるとの事で、はじめTさんは自室に掛けていたが、ある時絢子さんから頼まれて、以来ホテルのレストランに飾っておられるとのことだった。ミステリアスな作品に、隠されたストーリーが浮かび上がった。
「黒皮縅(おどし)の鎧と馬」と題された作品は、カタログ・レゾネ図版篇(油彩)に、代表作「おぼろ月に輪舞する子供達」(何必館・京都現代美術館蔵)とともに最後のページに掲載されている。
数年前親友が舞う能を見るため久しぶりに一関を訪れた。再びあの絵を見たいとホテルへ足を伸ばしたが、経営が変わったというレストランにその絵はなかった。
生きたことのすべてが凝縮された厳かでしめやかな締めくくり。
Tさん曰く、絶筆・最後の作品であるというあの薫の絵は、一体何処へ行ったのだろう。
