Art Column
第3回 いさはやの「LOLA」
今夏は酷暑が列島を襲った。今思えば異常気象はあの頃とうにはじまっていたのだろう。11年前、あの夏も暑かった。照りつける太陽の日差しが容赦なくクーラーも効き難い中、私たちは一路岐阜の関ヶ原町へと車を走らせていた。10日ほど前にクリーニングのため運び込んだ水戸寒水石の彫刻を引き取りに行くために。舟越保武作「女の顔」である。そして車には新たに修復を依頼するため、40キロ程もある砂岩の彫刻を積み込んでいた。
舟越保武の砂岩の胸像「LOLA」(1982年制作)。それは26聖人像を修理するため訪れた長崎で、作家が偶然見つけた諫早石で作られている。白い大理石から灰色でやや青みがある諫早石を彫刻するようになった経緯は、氏の著書「石の音、石の影」(筑摩書房刊)のなかの「砂岩と大理石」に詳しい。カタログレゾネによれば、諫早石で制作された作品は全部で13点(胸像8点・頭像5点)、うち5点は岩手県立美術館に、また3点は資生堂アートハウスに所蔵されている。希少な作品であるため、私たちが扱えるチャンスはまず無いと思っていた。それだけに「LOLA」が手に入った時は、この上なく嬉しかった。ただある一つの問題を除いては。
「LOLA」には額から左目の下にかけて茶色のシミのような汚れがあった。求めた時、汚れは専門家に依頼すれば修復出来ると考えていたから、それほど気にしていなかった。だから程なくクリーニングを依頼した研究所で、「シミは石の特徴であり、汚れではない可能性が高い。」との報告を受けた時、にわかには信じられなかった。予め作品集や入手可能な資料の確認もしていたが、そのどの写真にも「LOLA」のシミは認められ無かった。後からついた汚れではなく石の特徴であれば、何故それらにシミが無いのか、不可解だった。疑問を解くためには、作品が制作された当初からシミがあった事を確認する必要があったが、鑑定証の発行元である舟越家や舟越作品に詳しい美術商に問い合わせても、「後からついた汚れで残念だ」と言われるばかりで、調査結果とは矛盾する回答だった。なす術がなかった。
「LOLA」が来た翌年2009年3月、画廊設立10周年を記念して準備していた舟越保武彫刻展を開催した。その頃「LOLA」のシミのことはなかば諦めていたが、案内状を作成するため作品の撮影を依頼したカメラマンから、ポジフィルムを入手し解析してみてはどうだろうかとのアドバイスを受けた。作品集などにモノクロでしか掲載されてなくても、ポジフィルムは全てカラーで撮影されているはずだというのだ。カラーであれば当時の作品の状態をもう少し詳しく知ることが出来るかもしれないと。私たちはポジを探してみることにした。作品が制作されてから30年近く経っており、ポジフィルムを探す作業は思ったより難しかったが、ようやく東京・千駄ヶ谷にある会社に「LOLA」(胸像)を正面から撮影したモノクロ写真のポジフィルムが保管されているのが分かった。何とかそのデュープを取り寄せることが出来たが、入手したデュープを見て私たちは驚愕した。「LOLA」はキレイにメイクされていた。私たちが調べている間、誰もこの作品が着色されていた事を指摘する人はいなかった。
諫早石の彩色について、作家が紅茶を使用していた事は随筆にも記してある。しかしながら、紅茶以外の着色についての言及は何故か見当たらない。岩手県美術館に収蔵されている「聖クララ」像(1981年)などは、形状は勿論のこと、上品な彩色によって非常に効果的な美しさが醸し出され、崇高ささえ漂わせている。私たちは、もしかしたらエマルジョンタイプの化粧品が使用されたのではないかと、勝手に推測していた。恐らく「LOLA」の持ち主は何かで付着してしまった汚れを取り除こうとして上手くいかず、結局は全ての彩色を洗い落すという方法を選ばざるを得なくなったのではないか。そしてメイクを落とした顔にもともとあった石の目の茶のシミが現れたのだ。カメラマンにデュープを解析してもらった結果、彩色の下にやはりシミの存在が認められた。最初の調査の通り、「シミは汚れではなく、諫早石に含まれている鉄分と思われる物質が石の目に沿って層状に出ているもの」だったのだ。こうして疑問は解消されたが、それは同時にシミを取り除く事がほぼ不可能に近いことを知らしめられた瞬間でもあった。見るたびに「LOLA」が不憫に思われた。
そのまま数年が経過した夏の日、求めたばかりの水戸寒水石の彫刻「女の顔」の洗浄をお願いした関ヶ原の工房で、石に関してならどんな問題にも対応可能と工房の社長が太鼓判を押す、T氏に出会った。T氏に、「LOLA」の石の目について相談したところ、一度彫刻を見せてほしいと言われ「女の顔」を引き取りに行く足で「LOLA」を運んだのだ。「女の顔」が導いてくれたのだろうか、「LOLA」はT氏により、特殊な技法で顔料を塗布され、薬品を使用したり削りを入れたりすることのない、見事な補修が施された。こうして「LOLA」の顔面のシミは、消えた。
「LOLA」は、キレイになってからもなかなか納まり先が決まらなかった。しかし、水戸寒水の「女の顔」が不思議な縁で作家の出身地岩手県に納まったのとほぼ時を同じくして、数年間交渉が難航していた諫早石の産地長崎県の美術館に、コレクションされる事が決定した。こうして舟越保武の初期の水戸寒水石と晩年の諫早石の2点の石の彫刻は、富山を遠く離れた北と南に嫁した。
自ら行くべきところを選んだ二つの作品は、それぞれに安住の場所を得て久しい。今もこれから先も悠久の時間を生き続けてくれるものと信じている。
< 現実は作られし夢 芒原 >堀かをるの句が口をついて出る。来てはまた去るをくり返し、画廊はいつもすこし寂しい。
※「LOLA」の彩色の画像は、著作権の都合上掲載出来ませんでした。
→長崎県美術館はこちらから
過去、香希画廊では舟越保武氏の展覧会を三度開催いたしました。
香希画廊10周年記念展
―静謐な美―
舟越保武彫刻展
■2009年3月7日(土)~3月22日(日)
大理石、砂岩、ブロンズの彫刻さ約10点と素描、版画を展示。
彫刻家 舟越保武展
生誕100年・没後10年記念展
■2012年4月3日(火)~4月15日(日)
若い女(胸像)大理石、LOLA(胸像)砂岩、
聖マリア・マグダレナ ブロンズ(立像)、EVE ブロンズ(立像)など、
1950年代初期の大理石彫刻から1987年の立像まで、彫刻17点、素描・版画作品を展示。
舟越保武展
-最晩年の彫刻作品とデッサンによる-
■2012年10月20日(土)~11月4日(日)
ゴルゴダをはじめ、晩年左手で制作された彫刻作品12点とデッサン13点を展示。
出品は、舟越先生のご息女で現在は舟越作品の鑑定家でもある苗子様に、全面的ご協力を賜わりました。