Art Column
第6回「Old Soul」
バイオリニストの五嶋みどりさんについてShe is an old soulと語っている人がいた。あまり馴染みのない言葉ではあったが、何か言い得ている感じがして妙に記憶に残った。
ある時米国のニュース番組でOld Soulというワードが取り上げられているのを見て、なるほど面白い表現だなと納得した。Old Soul とは、輪廻の思想に関係のある言葉のようで、前世でいろいろな人生を経験してきた人が再びこの世に生まれ、若いにもかかわらずその年齢以上に優れている人のことを言うのだそうだ。
30歳で早世したわが国の近代洋画を代表する画家佐伯祐三もまた、Old Soulとよばれるに相応しい人物のひとりかもしれない。絵好きには取り分け魅力的な絵描きである。今年、東京ステーションギャラリーと大阪中之島美術館で大回顧展が開催された。
回顧展の会場で初めて見た海景の大作「勝浦風景」に、足が止まった。崖の上から岩間の砕けちる波を見下ろし遠く沖合と地平線までを描いたダイナミックな作品は、20歳の作とは思えぬ技量をまざまざと見せつけられて、圧巻であった。こんな絵をものにしては、佐伯が描くに耐える景色はもう日本にないだろうとさえ思われた。
1924年1月佐伯は渡仏し、描く対象をパリの風景に見出している。そして1927年8月に2度目の渡仏を果たした佐伯はしかし、ほぼ1年後の1928年8月16日パリ郊外の病院で亡くなった。
縁あって今年、佐伯祐三の作品を扱う機会に恵まれた。1928年、亡くなる数ヶ月前の作品である。迷いのないタッチ、思いの外薄いマチエール、作品を目の当たりにすると、佐伯の画家としての精神的高揚と焦燥が伝わってくる。絵画を通して、描くことの純粋さや芸術の良心とでも言うべきものに触れることが出来る。画家と初めて直に話せたような親しみとよろこびを覚えた。
世に数多ある風景画の中で、佐伯のように気配を塗り込めた絵画を、他に知らない。あたかも芭蕉の句の如く、記憶に止めておきたい事象を、描く対象としての景色に留める。佐伯が敬愛したヴラマンクや、日本人になじみの深いユトリロの絵画にはない、あるいは面相筆のラインを巧み取り入れて西洋人を驚かせたフジタの絵画とも異なる、東洋人の感性の表出だ。
人は死ぬ時一体どれだけのことを憶えているのだろうか。その生が長かろうと短かかろうと、やがて人生はあたかも夢であったかのごとく、終わる。けれども芸術に籠めたいのちに終わりはない。
パリの坂道、建物に映る昼下がりの陽光や建物の影に小さく見える看板、点のような人影、冷たい雨に濡れそぼる街路樹、佐伯の絵画に描かれたそれぞれが、生々しく私を捉える。一陣の風が街を吹き抜けた、と見えた。
佐伯祐三の魂が、恰も前世からの約束ごとでもあるかの如く、その作品に向き合う者に自らの命を託して、また彼岸にもどって行ったにちがいないと、そのとき私は、思った。