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アートコラム

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第14回 「白木槿」

2024年08月01日更新

 「白米で買う」。作品を求める時の真剣さを端的に表すこれ以上の言葉はないだろう。作品が勝負の美術商である。作品を買い求める真剣勝負を数こなすうちに、身に備わったいわゆる勘、コンピュータの中に蓄積されたデータのようなものが、頭のどこかに存在しているとでも言おうか。例えて言うなら外国語で咄嗟の一言を発する時のように、見た瞬間に即座に真贋を見極める。文法を学ぶがごとく、日頃の勉強の大切さは言うまでもないが、頭で考えていてはもう遅い。しかし近頃は物故作家の取引には必ず鑑定書を付けるよう要求され、付いていない作品の売買はし難くなった。人は目ではなく情報でものを求めるようになり、美術商の保証もそれほど必要とされなくなった。嘆かわしい限りだが、商売は所詮時代の流れに従わざるをえない。「目利き」と言う言葉もそのうち死語になってしまうのではないかと案じられる。

 「香世ちゃん、わしはとうとう念願の作品を手に入れた。今さっき金も払った。見に来ないか。」蒐集家のG氏からそう連絡を受け、早速拝見に伺った。いつも通される部屋で私を待つ主人の顔を見るより先に、卓上の作品に目がいった。
 聞けば共箱(作者本人が作品名や署名を記した箱)は無いが、弟子の識箱(極めを書いた箱)に収められていると、箱を見せて下さった。その作品は、弟子であるF先生とM先生二人のうちのいずれかの識箱があれば、真作として通っていた。F先生は陶芸(色絵)の、M先生は金工(彫金)の重要無形文化財保持者に認定された、いわゆる人間国宝である。識箱はF先生のものであった。華やかな金襴手であったが、私にはどこか生気に乏しく感じられた。作者特有の品格と清冽さが今一つ伝わってこない。
 長年欲しかった作品を手に入れて興奮気味のG氏は、作品の真贋に疑問を呈する私の意見に納得が行かず、みるみる不機嫌になった。しかし、もう一人の弟子であるM先生の見解を伺ってみてはどうだろうかとの提案にはなんとか応じて下さった。作品は私に委ねられた。

 「お盆なのにすみません。」「構いません。急ぐんでしょ、どうぞお越し下さい。」私は受話器を持ったまま電話を切り、同じ公衆電話からM先生に作品を見てもらえることになった事、今から行けば夜には富山に戻れる事などをG氏に慌ただしく伝え、一路埼玉のM先生宅へと向かった。電車から乗り継いだバスが砂煙をあげて走る沿道に咲いていた木槿の白い花だけが、何故か思い出される。
 着いて直ぐ、初対面の挨拶もほどほどに私は作品を箱から出し、M先生の目の前に置いた。F先生の極めが付いた箱は、敢えて伏せておいた。M先生はご覧になり、ゆっくりと首を横に振られた。

   慎ましい佇まいのM先生のご自宅には、所々に師匠の作品が置いてあった。M先生はその内の一つを手に取り、師匠が、「自分が亡くなっても作品が私であると思いなさい」と仰った事など、ひとしきり思い出を語られた。話を伺いながら、私はF先生の識箱をM先生にお見せしたものかどうかと迷っていた。見せなかった事を後悔するよりいっその事見せてしまおうと決心し、思い切って箱を出した。するとそれまで楽しげに話しておられたM先生の表情が曇り、「どうしてこんな事をするのかなぁ」と悲しそうに一言そう仰った。そして徐に立ち上がり、別室からある資料を持参された。それはなんと師匠から託された作品に施す模様を考案した際の記録であった。そこには写生から独自の模様が生み出される法則が丁寧に記録してあった。M先生はその中のひとつを指し、件の作品の模様との違いを示された。比較すればその違いは明らかであり、説明は要らなかった。

 それから10年余りの時が流れた2011年初夏、その頃はまだ東京竹橋にあった国立工芸館で、師弟愛と二人の作家それぞれの豊かな人間性が生き生きと伝わってくる、こころに沁みる展覧会を観た。
 「増田三男 清爽の彫金 そして富本憲吉」展。
 金工と陶芸というジャンルの違いを超え、互いの信頼と尊敬が、作品を通して見事に響き合っていた。
 帰路を急ぎ言葉短く別れたあの夏の日のM先生の思い出と、清々しい余韻を今に呼び覚ます、永く忘れ難い展覧会である。

▲富本憲吉「色絵 角香炉」 増田三男 火屋「富貴」 共箱  H9.0×7.0×7.0㎝
富本憲吉
1886年 奈良県生まれ
1950年 京都市立美術大学教授
1955年 第1回重要無形文化財保持者(色絵磁器)認定
1961年 文化勲章を受賞
1963年5月 京都市立美術大学学長に就任
1963年6月 肺がんにて死去

増田三男
1909年 埼玉県生まれ
1929年 旧制浦和中学校(浦和高校)卒業
1944年 浦和中学(浦和高校)美術講師となる
1976年 浦和高校の美術講師を定年退職
1991年 重要無形文化財保持者(彫金)認定
2009年 死去 享年100歳
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